東欧諸国民と日本人の平和・自由への想いが違うのか?

何故、日本国民は平和・自由を護ろうとしないのか 疑問である。

国家としての最低単位は家庭であるということを

忘れているのではないだろうか、

ほんとうに疑問に思う。

 

産経新聞パリ支局長三井美奈記者の

ポーランド国際問題研究所のロレンツ・ボイチェフ研究員(52)への

インタビュー内容掲載記事を紹介します。

現在の日本人の平和・自由を護ろうという感覚の無さに

気づかされたというか感覚の違いに、僕も驚いた。

国民性の違いだけでは済まされないと思う

 

東欧が「反戦」を嫌う理由 三井美奈

2022/3/28 17:23

ワルシャワ郊外の公民館で、ウクライナ難民の支援活動を行う

ミハル・ベグレビチさん(三井美奈撮影)

「あなたの考えは『平和主義者』のたわ言ですよ」

 

ウクライナの隣国で、取材先からこんな言葉を浴びた。

相手は、ポーランド国際問題研究所のロレンツ・ボイチェフ研究員(52)だ。

 

私の質問は「一刻も早い停戦を優先すべきではないか」というものだった。

ボイチェフさんは「何も分かっていない」と言わんばかりに、

停戦と「真の平和」の違いを語った。

 

筆者が住むフランスには、「人命第一。どんな手段を使っても、

攻撃をやめさせろ」という議論がある。

 

ウクライナへの大量の武器支援は戦闘を激化し、

犠牲を増やすという人もいる。

だが、ボイチェフさんは「そんな西欧の厭戦(えんせん)気分を、

ロシアは常に利用してきた。侵略を追認させるために、です」と訴えた。

 

ロシアに交渉で攻撃停止を求めれば、

必ず「それなら、こちらの要求を飲め」と言ってくる。

それは、ウクライナにおける親露派の政府樹立だったり、

武装解除だったりするだろう。

ボイチェフさんは、それは真の平和ではないという。

 

第二次世界大戦後、東欧諸国は旧ソ連支配下に置かれた。

ソ連がすべて正しい」という歴史観を押し付けられ、絶対忠誠を誓う

共産主義政党が政権を握った。

学校で、子供はロシア語をたたき込まれた。

ボイチェフさんは「私はその世代です」と言った。

戦争をしない代償として、国民はソ連に心まで支配された。

1989年、ポーランドでそんな体制が崩壊したとき、彼は20歳だった。

 

ワルシャワ郊外で、ウクライナ難民の支援活動をする

ミハル・ベグレビチさん(41)はそのとき9歳だった。

父親は、非合法だった自主管理労組「連帯」の活動家。

ベグレビチさんが生まれたとき、反体制派として投獄されていた。

 

「自由の中で育った人は『平和を』と簡単に言う。

だが、戦争がなければよいのでしょうか。

言いたいことも言えない暮らしが、平和と言えますか」と、

私に問いかけた。

難民を助けるのは、単なる親切心からではない。

「ロシアにあらがうウクライナ人の戦いは、私たちにとって他人事では

ないのです」。

 

2人の話を聞いて、目が覚めた。

日本は戦後、米国に占領された。

一方的な戦犯裁判を押し付けられたにせよ、民主主義と自由経済

育むことができた。

 

かつての西ドイツも同じだ。だが、ポーランドウクライナの人たちにとって、

ソ連支配下の平和は自由の死であり、民族の消滅だった。

魂を奪われることだ。ソ連がロシアになっても、脅威は同じ。

今のウクライナの戦いは「2度と、隷属の民にならない」という決意が支える。

 

フランスのマクロン大統領は、プーチン露大統領と電話会談を繰り返し、

停戦を呼び掛ける。

ポーランドの人たちが不安な思いで見ているのを、

現地に来て初めて知った。

 

東欧で米国への支持が強いのは、「自由」で妥協しないからだ。

ボイチェフ氏は「第一次大戦以来、欧州の戦争は、

すべて米国が終わらせた。米国こそ欧州安定の要です」と言い切る。

 

ベグレビチさんが、ウクライナから1人で脱出した15歳の中学生を

迎えに行くというので、駅まで一緒に行った。

夕暮れのプラットホームで少年は背を丸めて座っていた。

ベグレビチさんは無言で肩をたたいた。

 

「大丈夫。君を全力で守るから」。

こんなふうに言っているようだった。(パリ支局長)

 

 

我々は自由と平和はタダでは護ることは出来ないと

思わなければならない。

時には血を流すことだってあるということを。

 

 

ありがとうございます。